2013年5月11日土曜日

行ってきました。 ベトナム


ベトナムに行ってきました。

旅の間、連絡が取りづらかったりと、ご迷惑をおかけしました事を心よりお詫びします。

今、アジアで一番行きたかった街に行くことができました。今回は、ハノイ~ホイアン~ホーチミン12日間/1600km南下の旅でしたが、ベトナムに到着してからホテルの予約をしたり、寝台列車に乗ったり、ハロン湾に行ったり、ODAで活躍している日本人、世界中から来たバックパッカー達と出会ったりと本当に素晴らしい経験をさせてくれた旅でした。

独立や南北統一の為に幾多の戦争を乗り越えてきた悲しくも強い志を持っているベトナムは、ほかの国にはない自国に対するプライドと誠意を感じました。




建物や街並みの優雅さ、フランスパンの美味しさは、フランスの植民地であった事を・・・。

植民地化されようと戦争中でもベトナムの伝統文化を守り通した事を・・・。

ホイアンの街の美しさに300年以上前に日本人が活躍していた事を・・・。


 ベトナム戦争終結の場になった統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸) ベトナム人建築家がデザインした完全オリジナルの素晴らしい建物ですが、豪華絢爛な表の顔と軍事要塞としての裏の顔があり、当時いかに世界の思惑・利権がベトナムに渦巻いていた事を見せつけられます。  こうして歴史の一端を見る事ができるのは無血開城されたからなのです・・。 本当に良かった!

詳しくはこちらを↓


 息を呑むほどの豪華さを誇った国書提出室、巨大な漆の壁画なのですが、隙のないアジア特有の繊細な作りの豪華さに圧倒されます。

地下の軍事司令室 ここでアメリカと密に交信していたのでしょう、ここから外に逃げる為の地下トンネルもあり、戦争末期には多くの高官や富裕層がここから脱出したそうです。

当時、入城した2台のソ連製の戦車も展示されています。 


 今回の旅では本当に多くの戦車や戦闘機を見たり触ったりしました。 

戦争史跡博物館では、枯葉剤の被害が今でもベトナムを苦しめているのは当然ながら、当時のアメリカの兵士・家族にも影響が出ていた事、日本も十分にベトナム戦争の加害者であった事を知らされました。





様々な困難を乗り越えてベトナムは前に進んでいます。 ベトナムの人口は8500万人、しかも平均年齢27歳と非常に若い国なのです。


これからの日本は、彼らと協力関係を結ぶ大事な時期だと思いました。


そして、いつもの事ですが「人と会う」事の大事さを教えてくれました。

インターネットの便利さを享受すればするほど、この意味がいかに大事かを痛感させられます。

そして今回は、新たに「人を信じる」事の意味も教えてもらいました。

どうなの? と言われても文書にするのは非常に難しいので割愛させて頂きますが・・・。

自分の行った行為への見返りなんかよりも与えられた恩に対して心から感謝する方が先でしょ!  みたいな事を教えてもらいました。

・・・とにかく! ベトナムの地、旅で出会った多くの人たち、誠心誠意接してくれたベトナムの人々に心から感謝します。


ありがとうございました。


また、皆さんに会いに行きたいと思います。


次は仕事を作って(笑)!


あと、旦那のわがままに付き合ってくれた妻にも感謝します。



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