2011年2月23日水曜日

デイトナ3月号に大変興味深い記事がありました。



デイトナ3月号に大変興味深い記事がありました。
22ページ「03 2011年 所さんが本気で気に入らないこととは?」 ※詳しい内容は本誌を買って読んでください。

要は「所さんの愛車のオディッセイがリアガラスをポリカボネートの窓ガラスに交換していた為に車検を通らなかった。」というお話なのですが気になった点は2つ有ります・・・。

1、          車検の問題

車検制度は、全てのクルマが問題なく公道を走る為、歩行者の安全を守る為に絶対に必要な制度だと考えています。

しかし我々、オートアフターマーケットで生業をなす人々にとって車検(陸運局)と言うのはある種の戦いの日々だったと思います・・・(カーフィルムの透過率やサンシールドの幅の問題などなど)。

私は、皆様に楽しく素晴らしいカーライフを送って頂く為、時には自分の商売繁盛の為に日々新しいアイテムをお客様に提供するのが仕事だと考えています。

今回の場合は、「メーカー純正のポリカガラス=○ 社外品のポリカガラス=×」だったのですが、これがエスカレートして「純正=○ 社外=×」になってしまう怖さを感じてしまいました。 

そうなってしまうとオートアフターマーケットで生業をなす我々の仕事は・・・あぁ~怖い!!!

陸運局もそれらに対して○か×のレッテルを貼るだけでなく、しっかり審議してほしいのですが現状では、責任を負う事が出来ない(しない)為に正式なコメントは出さないでしょうね・・・。


2、            ポリカボネートをウィンドガラスの代用として取り付ける。



窓ガラスをポリカボネートに交換する事は、アフターパーツとして販売もされていますし、レース車両などには以前から軽量化のアイテムとして採用されていますし、古いクルマのガラスが製廃の場合はポリカを加工して取り付ける場合(主にリアやサイドガラスなど)が実績として多々有るので、ガラスからポリカボネートに交換するメリットはあります。

特に電気自動車は車体の軽量化が必須なので、単体部品として1~2番目に重いパーツであるガラスが樹脂に変わる事により、大幅に車体の軽量化が進み航続距離も伸びるので数ある問題点が解消され次第、一気に普及(量産化)が進むでしょう。

以前より申し上げている通り、カーフィルム施工とポリカボネートの普及は反比例するものなので、新しいアイテムの開拓や次への意識が必要な時期がもう来ていると考えます。


自動車産業は、日本の大事な経済の機軸です。

守るべきはメーカーだけではありません、アフターマーケットの事もしっかり考えて欲しいです。


雑誌の記事の一つですが問題になるかも・・いや、問題なってほしいですね、所さんもかなり、お怒りのご様子でこの話は次回に続くらしいのでとても楽しみです(笑)!



2011年2月20日日曜日

友人との約束

アメリカに行ってきました。私が輸入しているGRANITIZE(グラニタイズ)のSales conference(ほとんど呑み会)出席の為なのですが・・。




そこで、トルコ人と意気投合して仲良くなりました。トルコは親日家が多く、「エルトゥールル号」の話は小学校の教科書にも持っておりトルコ国民全員が知っている話で、日本人の私が知らない事に驚かれ、日本に帰ったら是非!日本の皆に伝えて欲しいと懇願されました。


その話を知らなかった私は、ちょっと恥ずかしかったので、帰国後、この話しについて調べましたが、とても素晴らしい話なので彼との友情の為、日本とトルコの友好の為に一部紹介したいと思います。



「エルトュールル号遭難事件」

1890年6月7日に横浜に到着したエルトゥール号は司令官オスマン・パシャを特使とする一行は6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けました。


帰国の途に着いたエルトュール号は9月16日折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし沈没、乗組員587名が死亡または行方不明になる大惨事となりました。


灯台下に流れ着いた生存者が数十メートルの断崖を這い登って遭難を知らせ、灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の献身的な介抱に当たり、この結果、69名が救出され生還することができました。


この遭難事故は樫野の区長から大島村長に伝えられ、神戸港の外国領事館に援助を求めて生存者を神戸の病院に搬送させるよう手配するとともに日本政府にも通報しました。


知らせを聞いた明治天皇はこの遭難に大いに心を痛め、政府として可能な限りの援助を行うよう指示、こうして遭難者に対する支援が政府をあげて行われ、69名の生存者は遭難事故の20日後、日本海軍の2隻の軍艦により、翌年イスタンブルに送り届けられました・・・。



なんと、この話はこれだけに止まらず95年後に続きます。



イラン・イラク戦争が始まった1985年、イラクのサダム・フセインがイラクのイラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を全て打ち落とす!」


世界各国は自国民の救出をするために救援機が相次いでテヘラン空港に向いましたが、イラン在住の216名の日本人は自衛隊機による救援を受けられなかったうえ(海外派遣不可の原則)、日本政府から要請された日本航空は領空内の航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない(!)という危機的状況に陥りました。


このとき、イランの日本大使館の野村豊大使がトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると、大使は「わかりました!ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう! トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも!」と答え、大使の要請を受けて派遣されたトルコ航空機は日本人216名全員を乗せて、トルコ経由で無事に成田空港に向かって飛び立ちました・・・なんと、タイムリミットの1時間15分前の出来事でした。


・・・内容はだいぶ端折ったし専門家ではないので多少の相違はご了承下さい、これ以外にも知らない外国と日本の友情の話はたくさんあるのでしょうね。



しかし、アメリカに行ってトルコ人と仲良くなるなんて、旅は不思議なもので予期せぬ出会いにいつも感動させられます。

この逸話を知る機会を与えてくれたトルコの友人に感謝します。

Teşekkürler! Görüşmek üzere!   



参考資料ウェキペディア:エルトュールル号遭難事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


トルコ大使館
http://www.turkey.jp/2003/info03_5.html

串本町観光協会
http://www.kankou-kushimoto.jp/txt001.html



2011年2月3日木曜日

JCCAクラシックカーフェスティバルニューイヤーミーティング2011に行ってきました。Part,2



こういう所に集うクルマとそのオーナーは、様々な人生を経てここに一緒に居るわけで、そんじょそこらのクルマたちとは訳が違うと思います。

ただ、このクルマの持ってるオーラは周りとは全く違いましたよ。

ダットサントラック!
50年以上前、オースチンのノックダウン生産から脱却をはじめた頃の日産のクルマの全ての先祖でもあるこのダットサントラック、キレイに手入れをされていますが、塗装は当時のまま(驚)!
私はエンジンクランクで始動させる自信がない(悲)・・・。
失礼して中を・・・んっ奥に何か書いてある・・・。
聞けば、車検整備に出す時に今の若い人向けの始動マニュアルらしいのですが、確かに「チョークをいっぱいに引き・・」なんて、あんまり若くない私でも最近、チョーク付きのクルマに乗っていない・・・。


実は、今まで一台だけ強い魂を持ったクルマに会った事があるのですが、このダットサントラックにも強い魂を感じました。 

「まだまだ働きたい!」なんて声が聞こえてきそうでしたよ(笑)。

このダットサントラックは、この日の為に着飾る訳でもなく、まるで今から荷物を積んで配達に行くかの様な日常的な雰囲気を醸し出していました・・・・何なんだろう・・・・直ぐに手放される高級車もあれば、いつまでも大事にされるトラックがある、クルマって不思議ですねぇ・・・。

オーナーの奥さんがニコニコしながら説明してくたのが印象的でした。 

本当にありがとうございました!


 

2011年2月1日火曜日

JCCAクラシックカーフェスティバルニューイヤーミーティング2011に行ってきました。


快晴の中(午後から雪が降りましたが)、JCCAクラシックカーフェスティバルニューイヤーミーティング2011に行ってきました。

当然ながら、素晴らしいコンディションのクルマたちを観る為に来るのですが、実際はガレージセールで買う掘り出し物のパーツやミニカーや書籍が目当てだったりします(笑)。


幻のホンダS360! 最終的にはS800まで進化するのですが、モータリゼーション創成期に、この小さなオープンカーはどれだけの若者を熱くさせ、支え、育てたのだろう・・・。

しかし、余りの小ささにミニカーを置いて撮影した様になってしまった(悲)。



サニーは何故かこの様な雑な使われ方がよく似合いますね。
 グロリアにお飾りってとても良く似合いますよね。
確信的に駐車する為に何時からゲートオープンを待っていたのだろう・・。
 出た!三菱デボネアのAMG!  この頃、AMGも凄い事してたなぁ~。

この2台は、お国柄が出ていてどちらも大好きな「後姿」です。




この様なショーに来ると、何かと環境や若者の〇〇離れ・・と言われている昨今ですが、若い人や家族連れの方を見ると、まだまだ大丈夫と思えます。

ただ、今回は、ある想いが沸々と沸いてきました。


それは・・・・。

経済が発展している国であれば、自動車メーカーは喜び勇んで進出し、すぐに新車のモーターショーは出来ますが、役目を終えた(価値が無いはずの)古~いクルマたちに人々が集うモーターショー・・・そんな無益な事(経済効果として)なかなか出来ません、 しかし、それが出来るというのは、その国の歩んできた自動車文化であり、大切にするべき価値観なのではないでしょうか? 

ぜひとも、何十年後も先に今の最新のクルマたちがクラシックカーと呼ばれる様になってそれに人々が集う・・・そんなモーターショーがある事を願います。