2014年7月9日水曜日

行ってきました。 トヨタ産業技術記念館 その2


今回のトヨタ産業技術記念館では、面白いものを沢山知る事ができました。

生まれたばかり日本の自動車産業を如何に大きくするか、当時の日本で席巻していた外国車といかに戦うかを必死で考えていた事がとても良くわかりました。

1936年に発売されたトヨタAA型は今の価値で約3000万円との事、アメリカ車は5000万円以上、どちらにしてもクルマは高価な乗り物だったのですね。

当時のAA型のパンフレットです。 是非拡大して見て下さい。
 「流線型」って言葉がこの時代から使われているなんて・・・セリカが最初じゃなかったんですね。


この時代から「低燃費」を謳ってたんですね。 さすがトヨタ!

豊田喜一郎と言う人は、

「如何にしてクルマを作るか?」

「如何にしてクルマを売るか?」

この2つの問題を同時進行で考えていたんです。

技術者でありながら経営者である事を忘れなかったんですね。

明治以降、世界に晒された日本が列強に飲み込まれない為に、先人たちは、この苦しい時代を乗り越えたのですね・・・。

今では多くの日本製品が世界で席巻しています。


そうでなければ、今頃、日本の道路は外車だらけになっていたかも知れません・・・もちろん我々のカーアフターマーケット業界だってどうなっていたかわかりません・・・。


ちなみに1940年に東京オリンピックが開催予定だったの知っていましたか?



その1に戻ります。




0 件のコメント:

コメントを投稿